2026ー来るべきAIの時代へ寄せて

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歴史的転換点で繰り返される、アートと学問の必然的な交差

人類の歴史を振り返ると、
世界の見え方が根底から変わる瞬間には、
必ずアートと学問が交差している。

それは偶然ではない。
世界の構造が更新されるとき、
人間の感覚や意味の枠組みもまた、更新を迫られるからだ。

1. ルネサンス(15–16世紀)

――神中心の世界から、人間中心の世界へ

ルネサンスは、世界観そのものが反転した時代だった。

神の象徴として世界を眺める視点から、
人間が観察し、理解する対象として世界を見る視点へ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家であると同時に、
解剖学者であり、工学者だった。

遠近法は数学と幾何学によって確立され、
解剖学は人体を、信仰の象徴ではなく
観察可能な構造として捉え直した。

このとき起きたのは、単なる技術革新ではない。

世界は「象徴」ではなく「観察可能なもの」になった。
身体・自然・空間が、信仰ではなく、
知と感覚の対象になったのだ。

科学は世界を測り、
アートは、その測られた世界を
「意味あるもの」として立ち上げた。

2. 17世紀 科学革命

――世界が数式で書けるものになった瞬間

ガリレオやニュートンによって、
世界は数式によって記述できるものとして
理解され始めた。

自然は法則に従い、
宇宙は人間が挑む無限の空間となった。

しかしその同時代、
バロック美術や音楽は、
激しい運動、過剰な装飾、
緊張と崇高さを表現していた。

世界が「説明できるもの」になったことで、
逆説的に、
捉えられなさ、恐怖、崇高、美といった
説明しきれない感覚が噴き出したのだ。

科学が世界を説明し始めたとき、
アートは「説明しきれないもの」を
引き受ける役割を担い始めた。

3. 19世紀後半(産業革命・進化論)

――人間の特別性が揺らいだ時代

ダーウィンの進化論は、
人間を「創造の頂点」から引きずり下ろした。

同時に写真技術が登場し、
世界を正確に再現する役割を
絵画から奪った。

このとき印象派の画家たちは、
「何を描くか」ではなく、
「見るとは何か」を問い始める。

科学が「人間は何者か」を揺さぶり、
アートは
「それでも世界をどう経験するのか」を
探り始めた。

4. 20世紀初頭

――世界が安定していないことが明らかになった

相対性理論は、
時間と空間が絶対ではないことを示し、
量子力学は、
観測者が結果に影響を与えることを明らかにした。

世界には、
唯一の客観的視点が存在しない。

この不安定な世界観は、
キュビズムにおける複数視点の同時提示、
カフカやジョイスの文学における
主体の崩壊として表現された。

科学が「確実な世界」を壊し、
アートは
「壊れた世界を生きる感覚」を
言語化しようとした。

5. 現代(AI・生命科学・複雑系)

――「人間とは何か」が再び問われている

AIは知的作業を代替し、
脳科学は意識を説明し始めている。

「考える」「創造する」ことが、
もはや人間固有のものでは
なくなりつつある。

主体、作者、責任、意味。
それらの所在が、再び揺らいでいる。

科学は言う。
「人間は、科学によって説明できうるかもしれない」

アートは問う。
「それでも、人は
何を生きるのかを見つけたいと思う」

共通している、本質的な構図

どの時代にも、
共通している構図がある。

科学・学問は、
世界の構造を更新する。

アートは、
その変化によって生じた
違和感、不安、問いを引き受ける。

言い換えるなら、

科学は世界を更新し、
アートは人間の意識を更新する。

そして実際には、
どちらか一方だけでは、
人類はこの時代の転換点を
乗り越えてこなかった。

いま私たちは、
その交差が再び必要とされる場所に立っている。

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