革命か?啓蒙か?ーウィリアム・ゴドウィンの啓蒙思想から考える現代の政治教育
タイトルの革命と啓蒙という言葉は、一見、背反する言葉ではない。では、なぜ、革命か啓蒙かの二項対立になるのだろうか。それに答えるには、フランス革命期イギリスの啓蒙思想家であったウィリアム・ゴドウィン(1756-1836)の思想を参照しなければならないだろう。今回、政治教育、ゴドウィンの研究者である藤山土瑠那さんにお話を伺う。歴史を見ると、停滞する社会を劇的に変えようとする時、武力蜂起としての革命に訴えることもあれば、人々の意識変革を通して新たな世界を切り開いていこうとする啓蒙のムーヴメントも生まれた。
若きゴドウィンは、フランス革命を前に、暴力を批判する平和主義の立場に立つ一方で、革命を人々の知性に訴える啓蒙の成果だとして歴史の進歩を確信した。啓蒙(enlightenment)と聞くと、「蒙昧を啓く」との語義からも上から目線な響きを感じるだろう。だが、ゴドウィンにおける啓蒙は、人々による学問知に基づいた真理探究の姿勢それ自体を指す。
ところが、真理の探究は、どこかの局面でかならず衝突を生む。
漫画・アニメ『チ。』で話題の「地動説」はいい例だ。
世の常識や制度に反していたり、権力に都合の悪い真実は往々にして隠されてしまう。 だからこそ、ゴドウィンは、そうした抑圧をはね返し更なる探究に進むような動機を持つ人間、すなわち探究者(Enquirer)になるべきと説いている。 現代の教育現場では、アクティヴ・ラーニングが取り入れられ、「探究」の科目が導入されている。 だが、それはゴドウィンの言う探究(enquiry)とは意味が異なる。外在的な強制による制度化の産物としての「主体的」な学習は、ゴドウィンに言わせればさらなる抑圧の増加にすぎないだろう。
実際に、専門学校や高校で教鞭を取られる藤山さんによれば、いまの日本の教育に足りないことは、政治的決断に基づく責任を負うための拠り所としての、政治的立場に立つ練習、あえて言えば「政治教育」ではないかと言われる。
無色透明に思える「中立」とは何か。
それこそが一つの強固な政治的立場ではないのか。
ゴドウィンの理論や政治思想の視座から迫りたい。 21世紀も4半世紀にさしかかる今、いっしょに考えていきませんか?
日時:2025年2月8日(土)14:30〜16:30
会場:カフェおきもと 〒185-0033 東京都国分寺市内藤 2-43-9 国立駅より徒歩8分 駐車場8台あり HP→ https://www.cafeokimoto.com/
参加費:一般1,500円(ワンドリンク込み)当日会場にて精算
学生1,000円(ワンドリンク込み)当日会場にて精算
藤山 土瑠那(ふじやま どるな) 1998年、東京都武蔵野市生まれ。日本、イラン、アゼルバイジャンのミックスルーツを持つ。 現在、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程に在籍し、政治思想史を専門とする。研究テーマは、ウィリアム・ゴドウィンを中心としたイギリス急進主義の思想。アナキズム思想にも関心を寄せ、月刊紙の執筆や編集活動を通じて、その思想を発信している。 また、私立高等学校および理容美容専門学校で教鞭を執る。講義では社会契約論やフェミニズム、気候変動、ウクライナ/パレスチナをめぐる危機など、学生へ政治的に考えるきっかけや揺さぶりを与えるテーマを積極的に取り上げている。
主催 / A&ANS(ART & ACADEMIA NETWORKING SERVICE) アートとアカデミアをつなぎ、新たな「知の集合体」の創造を目指す。
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